ウルグアイの英雄達


□■ホセ・アンドラーデ MF■□

 1930年、第1回W杯ウルグアイ大会優勝の立役者。

それ以前の、1924、1928年のオリンピック連続優勝

の原動力にもなった。”黒い驚異”と呼ばれ、世界

にウルグアイサッカーを知らしめた伝説の英雄。

56歳にて逝去。

□■オブドゥリオ・バレラ MF■□

 1950年、第4回W杯ブラジル大会優勝の功労者。

ホセ・アンドラーデの甥、ビクトル・アンドラーデ

と共にタフな中盤を形成し、前線のスキアフィーノ

、ギジャらが得点する。タレント揃いであったこの

世代の精神的支柱としてチームを優勝へと導いた。

□■ファン・スキアフィーノ MF/FW■□

"マカラナンの悲劇"と呼ばれる第4回W杯ブラジル大会

で、悲劇のきっかけとなるギジャの逆転ゴールをアシス

トした。自身も同点ゴールを決めていた。尚、この優勝

により、4人のブラジル人がショック死、又は自殺した。

4年後、スキアフィーノは、バレラ、アンドラーデらと共に

W杯スイス大会にも出場するが、4位に終わる。この大会

から現在までウルグアイは、優勝から遠ざかる。

スキアフィーノもこの後、イタリアへ渡りイタリア代表

として4試合に出場した。

□■エンゾ・フランチェスコリ MF/FW■□

 "エル・プリンチペ"(王子)と称されるに相応しい

柔らかなボールタッチと、ファンタジックなプレーに彼の

ファンならずとも魅了された。1986年、W杯メキシコ大会

が、彼のW杯デビュー。この大会、ウルグアイはベスト16

止まり。1990年、W杯イタリア大会。2大会連続出場となっ

たウルグアイは、フランチェスコリを主将とし3度目の優勝

を狙うべく、欧州クラブで活躍するウルグアイ選手達を召集

した。しかし、本大会ではどの選手も精彩を欠き、決勝トー

ナメント1回戦でホームイタリアに2−0で敗退。前大会と同

じ結果に終わる。その後、フランチェスコリは伊セリエA

にて4年間プレーし、現役生活をアルゼンチン・リーベルプレ

ートで終える。フランスの「新将軍」と称される、ジネディ

ーヌ・ジダンが最も憧れたプレーヤーがこのフランチェスコ

リである。彼こそが、ウルグアイの英雄なのかもしれない。

□■ルベン・ソサ FW■□

 1990年代前半に、欧州クラブにて活躍したウルグアイの

ストライカー。彼もまた、代表チームよりもクラブチーム

で実力を発揮する選手。1990年、W杯イタリア大会で代表

として出場する。英雄フランチェスコリらを擁するも、こ

の大会でソサは精彩を欠き、無得点に終わる。

"ゴールの詩人"と呼ばれ、欧州クラブでゴールを量産した。

□■ダニエル・フォンセカ■□

 90年代、ルベン・ソサと共にウルグアイを代表するストライカ

ー。左足から放たれる強烈なシュートとDFの裏を掻く独特のゴー

ル嗅覚で得点を量産した。'88、ナシオナルでデビュー。その後、

イタリアに渡りカリアリ→ナポリ→ASローマ→ユヴェントスと渡

り歩いた。特に'94〜'97ASローマ所属時に、アルゼンチン代表FW

アベル・バルボとの"南米2TOP"は絶妙なコンビプレーで見るもの

を唸らせASローマの一時代を築いた。"El Tigre"(エル ティグレ=猛虎)

と称された。

□■アルバロ・レコバ MF/FW■□

 現ウルグアイ代表の中心選手。彼なくして、2002年W杯

出場は無かったであろう。"魔法の左足"から繰り出される

キックの芸術的な美しさ、それでいて正確に枠を捉え、見

るものを魅了する。1997年に、伊インテルに入団。出場機会

に恵まれず、翌1998年にベネチアへレンタル移籍。ここで

レコバは大活躍し、降格の危機に瀕したチームを救った。

 翌1999年、伊インテルに復帰、現在に至る。トップ、

トップ下、最近では左サイドもこなす。

一方、1990年以来12年ぶりのW杯本大会出場も残念ながら

1次リーグ敗退に終わった。敗退したとはいえ、セネガル戦

は忘れられないゲームとなった。前半0-3の劣勢を、後半

でモラレス、フォルランと得点し、終了間際にPKをレコバ

がきっちり決め同点に追いつく。なおもウルグアイ攻勢で

ゲームを支配するが無情にも終了のホイッスル。ウルグアイ

の2002年韓日W杯が終わった。2006年W杯ドイツ大会では、

"古豪復活"の原動力になってくれるだろう。愛称"チーノ"

□■パオロ・モンテーロ DF■□

 2002W杯、ウルグアイ代表の主将を務めた。自身、W杯初出場。

激しいタックル、優れた状況判断、勝負強さ、駆け引きの狡猾さ

などDFに必要とされる能力をハイレベルで併せ持つ世界でも屈指

のセンターバック。イタリアセリエAの強豪クラブ、ユヴェントス

に所属。チームメイトからの信頼も厚い。時折、その闘争心の強

さが裏目に出てカードを頂戴することもしばしば。「退場王」の

異名をとる。彼の父フリオ・モンテーロもまたウルグアイ代表で

1970年メキシコW杯にてDFとして5試合に出場。チームのベスト4入

りに貢献した。

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